「信州最速プロジェクト」という人気ブログをご存知でしょうか?
2019年8月にこのブログは更新を終了しましたが、とある市民ランナーが想いを綴り続け、アメブロのランニング・マラソンジャンルで不動の1位を獲得していた人気ブログです。ブログの作者は長野県茅野市在住の牛山純一さん。各地のレースで好成績を残す中で、彼の想いや言葉は多くのランナーから支持を受け、共感されてきました。更新が止まって1ヶ月以上経ちますが、いまだにブログランキングで5位になっています。(2019年8月4日時点)
非実業団という競技スタイルが注目される中で、強い市民ランナーがどんどん台頭していますが、牛山さんはその先駆け的存在です。今回は、彼がどのような生い立ちの中で走り始め、今どのような想いを秘めているのかについて伺ってきました。
『市民ランナー名鑑』二人目は牛山純一さんです。どうぞご覧ください!
牛山 純一 プロフィール
《牛山 純一(うしやま じゅんいち)》
生年月日 1983年11月8日 (35歳)
所属 茅野市役所
出身高校 諏訪清陵高校
出身大学 愛知工業大学
※長野県内の一般企業で6年間勤めた後に、茅野市役所へ入庁(2012年)
《自己ベスト》
2000m 5分26秒51(2019年8月12日・安曇野記録会)★長野県記録
3000m 8分11秒92(2019年7月20日・山梨記録会)
5000m 14分09秒40(2017年9月30日・世田谷記録会)
10000m 29分03秒09(2016年11月12日・日体大記録会)
ハーフマラソン 1時間 4分3秒(2019年3月3日・立川シティーマラソン)
フルマラソン 2時間19分59秒(2019年8月25日・ニューカレドニア国際マラソン)
《主な成績》
2019年 ニューカレドニア国際マラソン(2位)
2019年 長野県選手権5000m、10000m優勝
2019年 長野マラソン(長野県トップ賞)
2012年~2015年 諏訪湖マラソン優勝(ハーフマラソン)(4連覇)
2013年~2018年 上田古戦場マラソン10km部門優勝(6連覇中)
2015年~2018年 信州安曇野ハーフマラソン優勝(4連覇)
2012年 京都マラソン優勝
長野県茅野市で過ごしたジュニア時代
ーどんな幼少期を過ごしたのですか?
長野県の茅野市で生まれました。世間一般的なイメージ通りの山間地域で、自宅も標高が900mほどのところにあります。いわゆる”準高地”で幼少期を過ごしたので、生まれ育った環境が僕のランニングにもいろんな影響を与えてくれたのは間違いないでしょうね。
父は若い頃に歩いて日本一周しちゃうような人でした。だからといって僕が小さい時に何かを強要されたわけじゃないですが、今の自分のスタイルを考えると父の影響は無意識のなかであったのかもしれません。血は争えないですね。
ーお父さんの影響で陸上を始めたということですか?
陸上を始めたのは、中学生になってから。父からの影響というよりも、部活選びのときに団体競技よりも個人競技のほうが自分に合っていると思ったことが陸上部を選んだ決め手です。トレーニングの基礎的なことはそこでしっかり学んだと思ってます。当時は800mや1500mなどいわゆる中距離種目をやっていて、県大会で入賞できるくらいのレベルでしたね。
部活もさることながら、自分が通っていた中学校はとてもたくましくて、持久走大会として「フルマラソン」があったんです。もちろん、みんながみんな走ることが得意ではないですが、朝の7時にスタートして夕方の4時までにみんなゴールしなければいけないルールだったので、みんな一生懸命歩いたり走ったりしてました。僕は最後まで走って3時間40分くらい。400mほど高低差がある山道を走ることを考えると、なかなかのタイムだなと我ながら感心しますが、それでも学内では4位でした。みんなすごいですよね(笑)ちなみに、時代の流れですかね・・・今はそんな名物行事も「ハーフマラソン」になったみたいです。
ー長野県は駅伝が強い地域ですよね、高校進学の時はそれも考えたんですか?
当時は東海大三高校が強くて、佐久長聖高校が強くなり始めた頃でしたね。ただ、自分は地元の諏訪清陵高校に進学しました。私立高校のように部活動を強化しているわけではない普通の公立高校です。部活の顧問は元々砲丸投げの選手だったので、体を作るトレーニングなどは詳しかったのですが、長距離は専門外でした。そこで、練習メニューは自分で考えていました。チーム内では競り合うようなチームメイトはいなくて、大体一人で練習してましたが、他校に強い選手はたくさんいたのでライバルには事欠かなかったです。県内で揉まれながら高校三年生の頃には5000mの記録は14分48秒まで伸びたのですが、全国的には無名の選手でした。
当時、青東駅伝という東日本を縦断する駅伝があって、その長野県チームに選ばれたことは今でも鮮明に覚えてます。初めての遠征、初めての新幹線。強い長野県チームの中で走れたことはとてもよい経験になりました。
伸び悩んだ大学時代、自分らしいランニングスタイルを見つけた社会人
ー高校卒業後の進学先はどちらを選んだんですか?
全国的に無名ではあったものに、高校時代の記録のおかげで、いろんな大学から声はかけてもらいました。そんな中で選んだ進学先は愛知工業大学。きっかけは同じ中学出身の先輩の存在でした。両角さんという人でしたが、実はこの人はずっと野球部だったんです。高校3年生の頃に本格的に陸上を初めてメキメキと力をつけていたので、熱心に勧誘してきて最終的に口説かれました。
愛知工業大学は東海地区では毎年全日本大学駅伝にでるような強豪校。ただ、それまで自分で練習メニューを組み立てて自分の感覚を大切にしながら走っていたスタイルは一転してしまいました。チームとしての練習メニューがある中でみんなに足並みを揃えなければならず「疲れてても無理に走る」「周りに合わせる」といったことをやっていたら、何かの歯車が狂っちゃったんでしょうね。記録が全然伸びなくなってしまいました。
だんだんと走ること自体の楽しさも忘れてしまい、苦しい陸上競技になっていた気がします。全日本大学駅伝も出雲駅伝も出場しましたが、個人でもチームでも上位に絡むことすらできず結果はボロボロ。上級生になってようやく自分のリズムを作れるようになってきたものの、やはり大学生はうまく走れずに苦しい思いをした記憶の方が多いです。
ー箱根駅伝は進学の検討要素にならなかったですか?
関東の大学からのお誘いもありました。無名な公立高校で孤軍奮闘していたような状態でしたが、高校生の時に5000m14分台で走っていたので、色んな大学の推薦基準をクリアしていたんだと思います。ただ、箱根駅伝は1区間20kmを超えますし、当時は長い距離に対して不安があり、自信もありませんでした。
箱根駅伝は注目度も高いですし、もし関東の大学に進学していたらどうなってたかなという考えることはやはりあります。社会人になって自分でも驚くくらい記録が伸びたので、なおさらそういう想像を巡らせちゃうのかもしれませんね。
ー社会人になってから記録が一気に伸びましたよね。
大学を卒業した直後は長野県内の民間企業に就職しました。当時も5000mは14分台で走れていたので、市民ランナーとしてはかなり頑張っていた方だと思いますが、当時は今ほどランニング熱が高かったわけではなく、県外の大会にどんどん出たいというモチベーションもあまり高くなかったと思います。
転機は2012年の春。諸事情により新卒で入った工場を辞めることになって、生まれ故郷の茅野市に戻って市役所に入庁することになりました。タイミングを同じくして、茅野市陸上競技場が全天候型のブルートラックに改修。長野県は市町村対抗駅伝、長野県縦断駅伝等の地域でチームを組んで走る駅伝があるため、同じ地区のランナーが集まって日常的に練習することが多いのですが、そこで意識の高い市民ランナーや地元の中学生と一緒に練習するようになったんです。そこからどんどん記録が伸び、2012年から諏訪湖マラソンは4連覇。その年は京都マラソンでも優勝することができました。
35歳になった今でもコンスタントに自己ベストは更新できてます。今年に入って2000m、3000m、ハーフマラソン、フルマラソンで自己ベストが出ました!
茅野市にいたからこそ僕は強くなれた
ー練習環境の変化が記録を伸ばす大きな要因になったんですね。
そうですね、一緒に練習していた仲間の中でも中学生の存在はとても大きかったです。力があるのに出し切れていなかった子、まだまだ粗削りな子など、彼らは中学生らしい課題を抱えてました。でも、そういった子たちに地元の市民ランナーがいろんなアドバイスをして一緒に走るんです。そうこうしているうちに、彼らはビックリするくらい成長していって、自分を含めた社会人ランナーもうかうかしてられない感じになってくる。すごく良い相互作用でしたね。
当時中学生だった彼らの中には、その後世代を代表するトップランナーになった子が何人もいます。關颯人(現東海大)、築館陽介(現創価大)、名取燎太(現東海大)、中谷雄飛(現早稲田大)、矢島洸一(現山梨学院大)。駅伝好きなら知ってる人も多いでしょ。みんな個性があって彼らに送ったアドバイスやかけた言葉も様々でしたが、それは自分にとっても非常に勉強になりました。
ー地元とのつながりが本当に強いんですね。
市役所に勤めているので、余計に地元との繋がりを感じるんだと思います。今は水道課にいるので、地元住民や業者の方とやりとりすることが多いのですが、そうすると朝早い職人さんたちと朝練中にすれ違って「頑張ってるね」「新聞見たよ!」みたいに声をかけられることがよくあります。そういう繋がりって前職の時にはありませんでした。人とのつながりを深く感じられる今の職場とランニングスタイルはとても気にいってます。
また、一度地元を離れ、茅野市に戻ってきてからこそ、改めて茅野の豊かさを感じてます。立地的に走るにはとても良い環境で、学生や実業団が利用する主要な合宿地までは車で簡単に行けます。白樺湖はすぐ近く、富士見高原までは車で20分、女神湖や霧ヶ峰までも車で30分。茅野自体がそもそも標高の高いところにありますが、本格的な高地トレーニングもすぐにできるんですよ。
あとは、水道課にいるからこそ茅野の水の豊かさに気づかされました。市内の水道から出てくる水は全て地下水。しかも湧き出てきた時点で水道法の規準をクリアするくらい綺麗なんです。人間の身体は体重の60%以上が水分でできていると言われてますし、そう考えると日常的に口にする水ってすごく大切だと考えてます。ハッキリと意識したり、大きな変化を感じたりできるようなものではないのですが、長野のランナーが伝統的に強いのは水の影響もあるんじゃないかと思ってます。
練習方法へのこだわりが怪我をしないための秘訣
ーこれまで怪我したことはないですか?
幸いにも長期離脱するような怪我はこれまでないですね。というよりも、怪我をしないように気をつけているという表現のほうが正確だと思ってます。バランスよくいろんな練習をやらなければいけないという人もいますが、自分はそれとは少し考え方が違って、「自分の好きな練習」をたくさんやります。
誤解を招かないように、補足すると「自分の好きな練習」とは「自分が心地よいと思うペースで走る」ということです。自分が得意な練習は追い込めるけど、苦手な練習はなかなかうまくできないって経験ありませんか?それって体をうまく使えてないからこそ起こっていると思うんですよね。だからこそ、自分は体の使い方(負荷のかけ方)を間違わないように気をつけてます。無理をすれば怪我のリスクが上がるのは当然。チームの練習方針があるとなかなか勝手なことはできないですが、社会人になってからは何かに特化した練習スタイルもできるようになりました。
もちろん嫌いな練習を全くやらないわけじゃないですよ。必要だと感じればもちろんやりますが、どんな時も「余裕度」を大切にするようにしてます。
ー社会人になって確立したスタイルということですね。
年齢を重ねれば重ねるほど、こうすればこうなるっていう体の声がわかるようになってきました。もう一つ大事にしている考えは「ブレーキを大切にする」ということです。これも誤解を招きそうなので補足していきますが、F1のようなモータースポーツってブレーキのメンテナンスを特に重要視するんです。速さを争うスポーツなのに、ブレーキが大事って言われると、少し違和感を持つかもしれませんが、ブレーキも速く走るために大事なツールなんです。
どんなに高性能な車でも、アクセル全開でずっといけるわけじゃない。ここぞというときに強いアクセルを踏めるようには力を溜めることが重要なんです。ブレーキが踏めなかったり、ブレーキの利きが悪いと大事なアクセルで加速できませんよね。だからこそブレーキのメンテナンスが大事なんです。
ランナーも一緒ですね。マラソンもトラックレースもスタートからゴールまでずっと頑張り続けることなんて無理です。力をいかに使わないか、ブレーキを上手にかけられるかがとても大切で、最後まで足をしっかり残すことができれば勝てます。ラストスパートは絶対的なスピードが重要なんじゃなくて、それまでにいかに力を残せたか次第ということですね。
レースの事を引き合いに出しましたが、練習もこの意識があれば過剰な負荷が体にかからないようにすることが可能だと思ってます。
「市民ランナー」という言葉に縛られたくない
ーブログでいろんな発信をされていましたが、急に更新をやめられた理由は何だったんですか?
もともとブログを始めたきっかけは、自分がやってきたことを残すためでした。発信を目的にやってきたわけじゃないのですが、読者が増えて色んな人からコメントをもらうようになってからは、表現や伝え方を考えたりすることの方に時間が割かれるようになったんです。
また、自分のブログ内の文章を意図しない方向で解釈されることがあったり、それで他人を傷つけるようなことがあったりして、ブログの発信が今の自分にとって必要なのか分からなくなってきたんです。もともと文章を書きたかったわけじゃないですし、これからより高みを目指していくためにはブログを書く時間を毎日作っていられなくなって、更新をやめる決断をしました。
今はいろんなSNSがあるので、直感的に思ったことを手短にまとめるようにしています。ブログの更新はやめてしまいましたが、実はブログに変わる発信信手段として不定期でnoteを書こうかなと今は考えています。更新をやめて、改めて「考えていることをまとめる」という作業の意味を感じています。
ー今回のニューカレドニアマラソン(2019年8月25日開催)も川内選手と一騎打ちでしたよね
そうですね。一騎打ちという表現が適切かわかりませんが、川内選手につぐ2位でした。彼に着いていったのですが、最初の1kmを3分切るペースで突っ込んではしられてしまったので、さすがに早々に離れてしまいましたが、それ以降はずっと付かず離れずの距離感を保ってました。最終的に彼とは2分30秒差です。
実は40kmの地点で時計を見た時に、頑張れば2時間20分切れそうだなというタイムだったんです。2時間20分を切るか切らないかはかなり大きな差なので最後はめちゃくちゃ頑張って、2時間19分59秒でゴール。ラスト2.195kmはアップダウンもかなりあったのですが、ねじ込めましたね(笑)
ー市民ランナーとしてたくさんの結果を残してきましたが、これから何を目指して走り続けようと思っているんですか?
実は「市民ランナー」という言葉に引っかかってるんです。ニューカレドニアマラソンが終わった後に川内選手といろんな話をしたんですよね。彼も経歴が特殊なので、この話ができてよかったです。
そもそも市民ランナーって何なんですかね?気になってある時、広辞苑で調べてみたのですが、もちろん載ってません。つまり、誰かがいつの間にか勝手に作った言葉に過ぎないんです。曖昧な言葉にしばられていても、自分の可能性が狭くなるだけなので、勿体無いと思うんですよね。
実業団選手だって恵まれてない人もいるし、市民ランナーの中にも自由に時間を使える人もいる。結局スタートラインに立ってしまえば実業団も市民ランナーも関係ありません。「市民ランナーだから・・・」を言い訳にしないようにしたら、レースでも遠慮しなくなったし、考え方も前向き&強気になれました。
今の思いはシンプルに「自分より速い人がいるならどこまで行けるか?」ということを考えて走ってます。マラソンは無差別級なので、市民ランナーという枠を取っ払って速いランナーと戦っていきたいですね。
編集後記
「信州最速プロジェクト」という人気ブログを長く続け、たくさんのアウトプットをしてきたからこそ、インタビューにもズバッと回答してくれた牛山さん。1つ1つの物事への思慮がとても深く、言葉にとても力がありました。改めて「市民ランナーって何?」と問われた時、今まで考えたこともない問いだったので、言葉に詰まってしまいましたが、確かに何かを決めつけて自分を一つの枠に納めてしまうのはもったいないのかもしれませんね。
市民ランナーに限らず、これから「ランナー」という価値観もどんどん広がっていくと思います。楽しく、自分らしく続けられるランニングが受け入れられる世の中であり続けて欲しいですね。
(文責:宮川浩太)